Ex-Envoy’s Account Clarifies Iran’s 2003 Nuclear Decision - JAPANESE

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元大使の著書でイランの2003年の核問題決定の内実が明らかに

【ワシントンIPS=ガレス・ポーター】

2007年の米諜報機関の見解にあるように、イラン政府は2003年末に秘密の核兵器計画の停止を決断した。しかし、フランスの元駐イラン大使が先ごろ発表した回顧録には、イラン政府がそうした計画を実行していたわけではなかったことが示唆されている。

フランソワ・ニクロー元大使は、イラン政府高官との会話から、イラン政府の当時の核問題責任者で8月3日に新大統領に就任したハサン・ロウハニ師が核兵器に関するいかなる研究プロジェクトが進行してきたのかについて状況を把握していない、との感触を得たことを詳述している。

7月26日の『ニューヨーク・タイムズ』への寄稿記事でニクロー氏が紹介した会話では、ロウハニ師が、核兵器に関連したすべての研究を停止せよとの命令に研究者らを従わせることに苦労している様子も描いている。

ニクロー氏の記した2003年のイラン核政策の状況は、イランはすでに「核計画を停止している」とした2007年の米国家諜報評価の内容とは異なっている。この評価によれば、イラン政府指導層はかつて、核兵器製造に向けた研究開発計画を一度は組織したことになる。

ニクロー氏は、ロウハニ師が「民間・軍事組織を問わず、イランのすべての省庁に対して、過去および進行中の核活動の詳細を報告するよう求める通達を出した」ことを、あるイラン政府高官が2003年10月末に打ち明けてくれたことを回顧している。

このイラン政府高官との会話は、ロウハニ師が英仏独の外相と2003年10月21日に取り決めを結んだ直後のことだったという。

またニクロー氏は、「この高官は『ロウハニ師とその側近らが直面している最大の困難は、イランのように秘密主義的なシステムの中で、何が起きているのかを正確に把握することだ。」と説明した。』と記している。

ニクロー氏はその数週間後、「ロウハニ師の親友」であるというもう一人の政府高官から、ロウハニ師の核政策チームが核兵器に関連したプロジェクトを停止するよう指示を出したと伝えられた。

ニクロー氏によれば、このイラン政府高官は「(ロウハニ師の)核政策チームは、研究者らの抵抗にあい大変に苦労している。」「なぜなら、研究者らに何年も従事してきたプロジェクトを急にやめるよう説得するのは困難だからだ。」と語ったという。

ニクロー氏は、IPSへの電子メールの中で、「ロウハニ師が核問題の責任者になった時の最初の難題は、イランの核分野において何が起こっているのかを明確に把握することであったに違いない。」と指摘したうえで、「イラン政府が核兵器計画をかつて承認したことがあるとは考えられない。」と記している。

ロウハニ師は1989年以来、国家最高安全保障委員会(SNSC)の事務局長の要職にあり、核兵器計画を開始するいかなる政府決定を知りうるばかりか、それに関与していたはずである。

「最高指導者のアリ・ハメネイ師も含め、イラン指導部のほとんどの人が、核関連の研究活動が(水面下で)進行したことに驚いていたはずだ」とニクロー氏はIPSの取材に対して語った。

こうしたニクロー氏の回顧は、イラン政府の承認なしに核兵器関連研究プロジェクトが開始されたという、これまでに公になっている情報と一致する。

核兵器を保持しないというイラン政府の方針にもかかわらず、多くの高官らは、核兵器製造「能力」を持つことが、実際に核兵器を持たずにイランに利益を与えるものだと考えていた。

しかし、そうした能力の持つ実際の意味合いについては論争の種となっていた。政界に豊富な人脈をもつテヘラン大学の政治学者ナセル・ハディアン教授は、核兵器そのものではなく「核兵器能力」を保有するという、こうしたオプションに関する2つの潮流について、2003年に記している。ひとつの定義は、イランは「原子炉用の燃料を製造する能力のみを持つ」というものであり、他方は、「核兵器を製造するのに必要なあらゆる要素と能力を持つ」というものであった。

ロウハニ師が2003年に核政策の責任者として任命される以前に、政府の決定によってこの論争に公的な終止符が打たれることはなかった。そして、明確な政策不在のまま、軍や国防省につながる研究所のメンバーらが、国家最高安全保障委員会(SNSC)も知らないままに、1990年代後半に核兵器関連研究プロジェクトを開始したのである。

このようなプロジェクトは、SNSCが、イラン原子力庁(AEOI)や国防省、あるいは、核兵器に関連した「国防産業機構」の管理下にある軍産複合体に対するコントロールを十分果たしえていない時期に始まったものである。

1990年代中ごろまでには、AEOIが、その活動への監視の甘さを突いて、SNSCからの承認を得ずに重大な政策的意味合いを持つ行動に出ていた。

イラン核交渉チームの報道官だったセイード・ホセイン・モサビアン氏は、AEOIがアブドゥル・カディール・カーン博士のネットワークから1995年にP2型遠心分離機の設計情報を購入するという、政策に関連する重大な事柄をSNSCに対して連絡してしなかったとロウハニ師が2004年1月に自分に対して明らかにした、と回想録に記している。ロウハニ師によれば、AEOIは、「インターネットでP2型遠心分離器に関する情報を見つけ、研究を進めているところ」だと述べてごまかそうとした、という。

ロウハニ師が2003年10月に核政策の責任者として任命された際、国際原子力機関(IAEA)はイランに対して、すべての核活動に関する完全な説明を要求した。イラン国内のすべての民間・軍事組織に対して核活動に関する報告を求めたロウハニ師の通達は、同氏が、IAEAに対する完全協力の政策へとイランを転換させるとIAEAに約束した直後になされたものだった。

同時にロウハニ師は、それまで様々な機関が兵器関連の原子力研究を始めることを可能にしていた政策の抜け穴を塞ぎ始めた。

ロウハニ師は、初めから核兵器関連研究プロジェクトにかかわっていた官僚機構からの抵抗があるだろうと予想していた。彼は後に応じたインタビューの中で、「サボタージュ」も含め、新しい核政策の遂行にあたって問題が起こるであろうと予想しているとモハンマド・ハタミ大統領(当時)に伝えた、と回想している。

ロウハニ師の新核政策をめぐるその後の事態の成り行きを見ると、ロウハニ師は、核兵器はイスラム法によって禁じられているというハメネイ師の公式見解を利用して、そうした研究プロジェクトの禁止を守らせようとしたことがわかる。

核関連活動を報告し、原子力を軍事適用するいかなる研究もやめるようロウハニ師が10月末に官僚機構に対して命令したころ、ハメネイ師は、「我々の敵によるプロパガンダとは違い、我々は基本的にいかなる形の大量破壊兵器の製造にも反対する」と演説している。

その3日後、ロウハニ師はシャールード工業大学の学生に対して、ハメネイ師は、核兵器は宗教的に禁じられているとの見解だと述べた。

その同じ週、『サンフランシスコ・クロニクル』紙のロバート・コリアー記者に対して、保守紙『ケイハン』の編集者でハメネイ師のアドバイザーであったホセイン・シャリアトマダリ氏が、ロウハニ師の通達を無視し抵抗しようとする研究者らとロウハニ一師の核政策チームとの間の緊張についてほのめかす発言をしている。

ハメネイ師は、そうしたプロジェクトに従事する研究者らに対して、「(核兵器は)イスラム教で禁じられていると認めよ」と迫った、とシャリアトマダリ氏は語った。また、禁止に抵抗する研究者らは「秘密裏に」研究を進めていたと示唆した。

米諜報部門が2007年11月の評価でイランはすでに「核兵器計画」を停止しているとの判断を下したのち、ある米諜報筋は、主要な情報源は、2003年に核兵器関連活動が停止されたことに不満を訴える人物らとある高位の軍人との間の2007年のやり取りの傍受記録だと述べた。

しかし、米情報筋は、いかなる種類の作業が停止されたのかについては語らず、それが[イラン]政府の管理下にあった「核兵器計画」であるという(米国の主張を裏付ける)さらなる証拠も示そうとはしなかった。

ニクロー氏の回想は、2007年の[米国による]評価は、イランの「核兵器計画」と、イランの体制によって承認あるいは調整されていない研究プロジェクトという重大な区別を覆い隠していることを示唆している。

またニクロー氏はIPSの取材に対して、イランの弾道ミサイル計画を管理しているイスラム革命防衛軍(IRGC)も、当時秘密の核兵器計画を進めていたと考えている、と語った。IRGC自身の官庁は旧国防省と1989年に統合されて新しい省となったが、このことは、そのような秘密の計画があったとすれば、必然的により広範な軍の共謀があったことを示唆している。

※ガレス・ポーターは、米国安全保障政策専門の歴史家で、中東情勢を中心に長年IPSに分析記事を寄稿してきた調査ジャーナリスト。米国のアフガン戦争に関する報道で、2012年に英国の「ゲルホーン・ジャーナリズム賞」を受賞。(07.30.2013) IPS Japan

 

 

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