|軍縮|被爆地からの平和のシグナル

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【ベルリンIDN=ラメシュ・ジャウラ】

米国が消し去ることができない核の痕跡を残した2つの地-マーシャル諸島のビキニ環礁と日本の被爆地ヒロシマ-が、新たな平和のシグナルと共に、再び歴史的な観点から国際社会の注目を浴びている。

25日から日にブラジリアで開催された国連教育科学文化機関ユネスコの世界遺産委員会は、マーシャル諸島ビキニ環礁の世界遺産文化遺産登録を決定した。

米国は、第二次世界大戦後、冷戦の始まりと連動して、太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁において、核実験を再開することを決定した。そして、地域住民を立ち退かせた後、1946年から58年の間に、52年の世界初の水爆実験を含む核実験を67回に亘って実施した。

ユネスコによると、ビキニ環礁には、1946年の核実験でラグーンの底に沈められた数々の船舶や、水爆実験で出来た巨大なブラボークレーター(ブラボーは実験に使用された水爆の名称:直径1.8キロ、深さ70メートル)など、核実験の威力を伝えるうえできわめて重要な証拠が保存されている

この実験は、広島に投下された原爆の7000倍もの威力によって、ビキニ環礁の地質、その自然環境、そして放射能を浴びた住民の健康に深刻な爪あとを残した。

「ビキニ環礁は歴史を通じて、その地上の楽園というイメージとは逆説的に核時代の夜明けを象徴する存在であり続けた。同環礁は、マーシャル諸島共和国初の世界遺産登録地となった。」とユネスコは述べている。

ビキニ環礁の歴史をたどると、1885年にドイツが植民地化する前には僅かな数の船が訪れた記録が確認される程度である。その後第一次世界大戦(1914年~18年)中の1914年に、日本の海軍が他のマーシャル群島と共に同地を占領、1920年には国際連盟の決定により、日本の委任統治領となった。

日本は南洋庁(パラオ諸島のコロール島に設置)を通じてビキニ環礁を統治したが、1939年に第二次世界大戦が勃発するまでは、概ね現地の諸問題に関する運営については、同地の伝統的な支配層の手に委ねた。その後ビキニ諸島は、1945年に第二次世界大戦が終結した後は、86年にマーシャル諸島が独立するまでの約30年の期間、太平洋諸島信託統治領の一部として米国の支配下におかれた。

原爆ドーム

一方広島の場合、1996年、広島市の平和記念碑(原爆ドーム)が「世界最初の原爆が引き起こした悲劇の象徴」として世界遺産に登録された。

原爆は1945年8月6日、広島県産業奨励館の上空で爆発、秒速440メートル、一平方メートル当たり35トンの爆風が地上を襲った。同館の建物は破壊され僅かな壁と鉄骨のみが残った。

戦後、この建物跡は広島市民に「原爆ドーム」の通称で呼ばれるようになり、1966年、広島市は原爆ドームの永久保存を決定、その後定期的に保存工事が行われている。

2010年広島平和記念式典-毎年8月6日に広島平和記念公園で開催-が今までの式典と異なるのは、過去最多の74カ国(昨年より15か国多い)の代表が参加した点である。

また昨年10月に原爆記念碑に献花したジョン・ルース駐日米国大使が、(原爆を投下した)米国の外交官として初めて今年の広島平和記念式典に参列したことは、前向きな動きとして多くの日本人に歓迎された。また核保有国であるフランスと英国も、今回初めて平和記念式典に代表を参列させた。

また潘基文氏は現職の国連事務総長として初めて、広島平和記念式典に出席し演説を行った。

韓国出身の潘氏は、20万人以上の死者をだした1945年8月の広島・長崎への原爆投下時、まだ幼い子供(1歳)であった。第二次大戦終結から今日に至るまで原爆の影響で命を落とした人々は40万人を超え、犠牲者はいまも増え続けている。「私がここで何が起きたのかを十分に把握したのは、しばらく後になってからのことでした。」と潘事務総長は語った。

潘事務総長は、そうした認識を背景に、核軍縮と核不拡散を最優先課題に掲げ、2008年10月には、核軍縮に向けた5項目提案(①すべてのNPT締約国、とくに核保有国が条約上の義務を果たし、核軍縮に向けた実のある交渉に取り組む。②安保理常任理事国が核軍縮過程における安全保障について協議を始める。③包括的実験禁止条約発効、兵器用核分裂物質生産禁止条約の交渉を直ちに無条件で開始する。④核保有国が自国の核兵器について説明責任を果たし、透明性を確保する。⑤他の種類の大量破壊兵器の廃絶や通常兵器の生産・取引の制限など補完的措置をとる。)を打ち出している

潘事務総長は、世界最強の国々によるリーダーシップ、国連安保理への新たな関与、そして新たな活力に沸く市民社会の動向など最近の核廃絶に向けた前向きな動向について触れ、「私たちの力を合わせる時がやって来たのです。」と語った。

潘事務総長はまた、「同時に、私たちはこの勢いを保たなければなりません。」と語り、自身も9月にニューヨークで軍縮会議を招集し、核軍縮に向けた交渉を推し進める決意を述べた。

潘事務総長はまた、被爆者の証言を世界の主要言語に翻訳したり、「地位や名声に値するのは核兵器を持つ者ではなく、これを拒む者である」という基本的な真実を教えるなど、学校における軍縮教育の必要性を強調した。

グローバル・ゼロ

潘事務総長は、彼自身が「深く感動した日」という長崎訪問の後、広島に来訪した。長崎では、原爆博物館を訪問し多くの被爆者の方々とも面談している。潘事務総長はまた、爆心地に建立した原爆落下中心地碑に献花したほか、別に建立されている原爆朝鮮人犠牲者追悼碑も訪問した。

潘事務総長は、「長崎訪問を通じて、核兵器は禁止されなければならないという私の確信はより強固なものとなりました。」と語り、全ての国家に対して、5項目提案を支持し、出来るだけ早期に核兵器禁止条約(NWC)制定に向けた交渉に同意するよう強く訴えた。

「私たちはともに、グラウンド・ゼロ(爆心地)から「グローバル・ゼロ」(大量破壊兵器のない世界)を目指す旅を続けています。それ以外に、世界をより安全にするための分別ある道はありません。核兵器のない世界という私たちの夢を実現しましょう。私たちの子どもたちや、その後のすべての人々が自由で、安全で、平和に暮らせるために。」と潘事務総長は語った。

潘事務総長は訪問した広島、長崎双方において被爆者団体の代表と面談した。そして広島では記者団に対して、被爆者と対話をとおして、核兵器のない世界実現に向けて「一層努力していく決意を固めました。」と語った。

また潘事務総長は、被爆者の核廃絶に向けた献身的な取り組みに多くの人々が鼓舞されてきたことについて、「(被爆者の方々の)苦しみは想像を絶するものであり、彼らの勇気と不屈の精神は並大抵のものではありません。」と語った。

 


また潘事務総長は、広島の歓迎会での挨拶の中で、核兵器の廃絶は「私たちの共通の夢(Common Dream)というよりも、むしろ常識的な(Common Sense)政策なのです。」と語った。

このところ、米国とロシアが核備蓄量の3分の1削減を約した戦略兵器削減条約(START)合意など、幾つかの勇気づけられる公約が世界の核兵器国によってなされてきている。また、今年4月にワシントンDCで開催された核安全保障サミットと、5月に国連本部で開催された2010年核不拡散条約(NPT)運用検討会議の双方においても、進展がみられた。

潘事務総長は、「そしてなによりも」、世界の宗教界、弁護士、医師、環境問題専門家、労働指導者、女性、人権活動家、政策責任者等の代表に加えて、世界の4000都市の市長が参画した平和市長会議の運動など、「市民社会にも(核廃絶を求める)新たな活力が見られます。」と語った。

「かつて核兵器政策の責任者の地位にいた者や元軍人でさえ、(核軍縮を求める)声をあげているのです。」と、潘事務総長は語った。また、潘事務総長は国連と企業経営者の連携を進めるグローバル・コンパクト・ジャパン・ネットワークでの演説の中で、平和への責任については第一義的には政府にあると指摘しつつも、経済界が果たせる重要な役割についても強調した。

企業の投資、雇用判断、コミュニティーとの関係、環境や安全保障への取り組みは、そのあり方次第で、「ある国の紛争に火を注ぐ緊張関係を創出したり悪化させることもあれば、一方でその国の平和を維持することにも貢献できるのです。」と潘事務総長は強調した。

潘事務総長の広島平和記念式典での挨拶は、国連が青年層の(核廃絶への)願望を共有するのみならず、核兵器なき世界の実現にむけた彼らの取り組みを支援する内容であった。このことは、広島平和記念式典に先立って8月1日に広島で開催された青年平和総会及びアジア青年平和音楽祭においても示されていた。

池田大作創価学会インタナショナルSGI会長の核廃絶を求める呼びかけに応えて、広島県、長崎県、沖縄県を含む日本各地の創価学会青年部員は、NWCの制定を求める署名運動を展開した。

このキャンぺーンを通じて、合計2,276,167人の署名が集められ、同青年部は、月にニューヨークにおいて、国連及び核兵器不拡散条約NPT運用検討会議に対して署名を提出した。その後NPT運用検討会議では、NWCに十分な注意を払う必要性を強調した最終文書が全会一致で採択された。

民衆の声を結集して核廃絶を目指す、青年によるキャンペーンを率いてきた白土健治創価学会青年平和会議議長は、広島・長崎・沖縄県サミットの参加者に対して、「創価学会青年部がカ国の青年を対象に実施した意識調査の結果は、ほとんどの民衆が『核兵器が廃絶された方が安心できる』と考えているというものでした。」と語った。

意識調査は日本、韓国、フィリピン、ニュージーランド、米国、英国の10代から30代の青年層を対象に実施され、4,362人が回答した。

調査結果によると、67.3%が、「いかなる状況においても核兵器の使用は受け入れられない」と回答した。一方、僅か17.5%が、「核兵器の配備を、国の存続が脅かされている状況下において最後の手段として認める」と回答し、6.1%が、「国際テロや大量虐殺を防止するためならば認める」と回答した。(08.08.2010

IPS Japan/IDN-InDepthNews

 

 

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